日々鍛錬中

 

昨日友達とご飯を食べていて
たまげたこと

 

その子は
中学1年生の時からの友達で

 

出会って今年で20年
ということに気づき

驚いたんですよね

 

何に驚いたかって
20年前と変わらない会話ができること
20年経って
大人な会話もできること

 

これを共存できる仲の良い友達って
少ない事実に驚いたんですよ

 

だって私の中学1年生の頃って
自我も目覚めていない
よちよち歩きのひよこ

 

32歳になった今でも
諸先輩方からは
「このガキが」って言われてる日々なので
そこは割愛するとして。

 

当時は
中学受験させてもらうのも
当たり前

 

中学から私立の学校に
通わせてもらえるのも当たり前

 

中学に通う定期代を
出してもらえるのも当たり前

 

自我も目覚めていないので
見えてる視野なんて
筒の中をのぞいたような狭さ

 

今思うと
そういう環境を与えてくれるのに
どれだけ働かないといけないのか
ということがわかるので
頭が上がりません

 

そういう環境を子どもに
与えてくれるために
両親は休みなく働いていたので

 

弟と2人で過ごす時間が
多いのも当たり前

 

家族で旅行に出かけた記憶も
1泊2日で出かけた1回のみ

 

家族4人でご飯を食べに行ったことも
ほぼありません

 

寂しいと感じる時もあったけど

 

親が寝る間も惜しんで働いてる姿を
ぼんやりながらも見ていると
環境は変えられないのだから
そこを嘆いても仕方がないということは
幼いながらに思っていました

 

嘆いても仕方のないことは
見る角度を少し変えると
全く別物に見えるんですよね

 

小学生の頃は鍵っ子だったので
家に帰るって両親がいない時間は
ゲームし放題
パラダイスでしたね

 

勉強をしなさいと言われたことも
ありません

 

勉強するのもしないのも
自己責任です

 

あっ、でも
夜遅くまで出歩くことに関しては
めちゃくちゃ叱られましたね

 

塾がある場合を除いて
19時にはいつも家にいました

 

つらつらと書きましたが
何を言いたかったかというと
物事や人を一方面からしか見れないこと
というのは

なんて稚拙なのかということ

 

何事も表裏一体です

 

様々な角度から
物事や人を見れる人になるよう
日々修練中です

 

練りものコンシェルジュ
いずえりでした

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