広島・草津がかまぼこの町である理由とその歴史 パート2

 

広島・草津のかまぼこの歴史
パート2です

 

昨日のパート1に書いたように
草津が軍船の寄港地であり
様々な船がつく港町であったこと

 

そして草津という地は
1530年代より牡蠣の養殖が始まり

 

その後1670年代からは
草津から大阪へ出航し
大阪の人へ広島のかき料理を
ふるまうかき船が盛んだったこと

 

そしてそのかき船で出されていた
魚肉団子の製造方法が
地元草津の魚屋へ伝わり

 

冷蔵庫の無い時代
魚の保存方法に困っていた魚屋が

魚肉を焼いて売り出した
「おれんかまぼこ」が

草津のかまぼこの始まりでありました
(1818年代)

 

明治の時代までは
かまぼこ製造専門で商売する人は
ほとんどおらず

 

ほとんどの人が
魚屋の副業的な役割で
かまぼこをつくっていました

 

なぜなら
鮮魚の保存方法として
「おれんかまぼこ」をつくっていたが

いくらかまぼことはいえ
そこまで日持ちするわけではありません

 

じゃあかまぼこ専門業者が
出始めたのはというと
「氷」が発明された大正初期

 

かまぼこの保存方法が楽になり
爆発的にかまぼこ専門業者が
草津の地で増えました

 

なので草津のかまぼこ屋は
大正時代創業の会社が多いです

 

出野水産の創業も大正12年

 

当時魚屋で働いていた
出野しんたろうが

魚屋で余った魚のアラを
もらってきて

竹輪をつくって
自分で売り始めたのが

最初だと聞いています

 

ということで
広島・草津が
なぜかまぼこの町なのかというと

 

1、軍船が寄港する港町だったこと

2、草津の地で牡蠣の養殖が始まり
その牡蠣を大阪へ売るという
都会との交流があったこと

3、港町なので
捌ききれなかった魚の保存方法に
困っていた当時の魚屋が
かまぼこをつくり始めたこと

 

この3つの理由から
広島・草津はかまぼこの町に
育ったんですよ 💡 

 

現在でも
10社以上のかまぼこ屋が軒を連ねる
広島・草津です

 

広島はかまぼことふかーい関係のある
土地なんですよ♪

 

参考文献:
『郷土伝説軍津浦輪物語(改訂版)西都広島の郷土史』(広島郷土史研究会)

 

練りものコンシェルジュ
「いずえり」こと出野恵梨でした

 

 

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