出野水産(いずの)の歴史〜第1章〜

 

実はこのブログを書きはじめた当初
多くの方から反響をいただいた
「あなご竹輪誕生物語シリーズ」

 

当時の様子を
いろんな人に話を聞きながら
まとめたシリーズです

 

そして今日から
新しいシリーズということで

 

あなご竹輪の誕生する前の時代から
あなご竹輪誕生後までの
「出野水産の歴史シリーズ」を
書いていこうと思います 💡 

 

手前味噌な語り口も
あるかと存じますが

意気込み故と
お許しいただければ幸いです

 

第1章

 

出野水産は大正12年に
広島・草津の地で産声をあげました

 

屋号は「どてしん」

 

出野水産は竹輪をつくる専門の
小さな小さなトタン屋根の
かまぼこ屋

 

そのかまぼこ屋に
出野保(たもつ・先先代社長)が
跡取り息子としておりました

 

身体の少し弱かった出野保は
働き盛りの年頃に
入退院を繰り返しており

 

とある病院で当時看護師をしていた
のちの妻・昭子(現相談役)
と出会い
二人は結婚

 

当時昭子は19歳

 

まだまだ若い少女ですから
まわりからの
風当たりも強いわけです

 

しかも漁師町の草津ですから
まぁ〜男も女も気が強いし
言葉もきつい

 

そして
休みなんてもちろんありません

唯一休める日に
法事などの冠婚葬祭の予定が

どうしても入ってしまいます

 

頬を濡らしながら
歯を食いしばっていたと

 

吹けば飛ぶようなかまぼこ屋に
嫁いだのは

19歳という右も左もわからない年齢だったけんよね(笑)と
照れながら昭子は当時の心境を
今でもよく聞かせてくれます

結婚して2年後には
長男の保志(現社長)

そのまた2年後には守(現常務)が
生まれました

 

当時の出野水産のスケジュールは
こんな様子

 

夜中の2時3時に
小さな子どもを背中に背負い

魚市場へちくわの原料となる魚を
買いに行きます

 

魚を仕入れた後は
魚の頭をもぎ身をこそぎ落とし
すり身づくり

 

保と昭子そして
ほんの数名のスタッフで

昼過ぎまでかかって
すり身をつくった後

ようやく午後からちくわづくり

 

当時は炭火で
ちくわを焼いていたので

全身炭で真っ黒

 

今から考えると
とても贅沢で
おいしい竹輪だったことでしょう

 

わたしもその竹輪を
食べてみたかった

 

そんな毎日を送っていた昭和中頃

 

〜つづく〜

 

練りものコンシェルジュ
「いずえり」こと出野恵梨でした 💡 

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One thought on “出野水産(いずの)の歴史〜第1章〜

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