あなご竹輪誕生物語 まとめ

1番のアクセス数ですので、まとめました


出野水産 企画 広報の出野恵梨です

 

ブログをリニューアルして
早3ヶ月!

 

皆様からお声がけいただく
「ブログ見てるよー!」の言葉に
モチベーションを上げて頂き

 

毎日楽しく
ブログを書かせていただいています♪

いつもありがとうございます

 

今まで書いてきたブログの中で
ダントツのアクセス数をたたき出しているのが

 

あなご竹輪誕生物語 

 

たずさわってくださる
全ての方々のおかげで

 

広島土産・宮島名産・ギフト商品として
本当にたくさんの方々に
愛していただいております

 

感謝の日々です

 

今現在も
より美味しく!より品質の高い商品!

 

直営店での質の高いおもてなし
あの人からまた買いたいと
思っていただける接遇など

 

さらに皆様に満足いただけるよう
努めております

 

最後に

 

あなご竹輪誕生物語を書くにあたって
手前味噌な語り口も
あろうかと存じますが

 

意気込み故と
お許しいただければ幸いです

あなご竹輪誕生物語 ~最終章〜

感謝の思い


あなご竹輪を
最初に【宮島】で
販売させていただいたのが
GWの時期でした

 

初日から
想像をはるかに超えた
売れ行きで

 

朝から夕方まで販売
それから工場に帰り

 

明日の分を
夜から明け方まで
製造する日々でした

 

GWが終わり
お盆や紅葉の時期を迎え

 

売れる日も売れない日も
お店に立ち続けていました

 

すると
本当にありがたいことに

 

宮島島内・島外から
お取引の話をいただくことが
増えていきました

 

ある日
地元広島の中国新聞さんから

取材の話をいただき
大きな記事にして頂きました

 

当時専務の保志は
その掲載記事を片手に

 

なんとかキオスクさんへ
入れていただけないか

必死に営業へ出かけます

 

日本初の新商品
ましてや
取引もなかった会社でしたから

 

なかなかOKは
いただけなかったのですが

 

何回も
通わせていただくうちに
なんとか了承をいただき

 

広島駅のキオスクさんへ
いれていただけるようになりました

 

月日は30年ほどながれ
今では

 

キオスクさんをはじめ
百貨店や高速道路SA、

築地市場など
たくさんのお取引先様と
取引をさせていただき

 

念願だった直営店も
3店舗に増え
これからも増えていく予定です

 

広島駅新幹線名店街いずの

 

広島駅新幹線銘品館いずの

 

いずの福屋八丁堀店

 

大正12年に創業し
およそ55年前には
トロール箱の積み重なった

草津浜町の工場から

 

(草津浜町の工場)

 

今では
生産能力を強化し
衛生管理を徹底した
商工センターにある工場で

 

蒲鉾づくりを
続けられることに感謝です

 

これもひとえに
お客様


そして出野水産と
関わってくださっている

全てお取引先様
業者の方々
一緒に働いてくれているスタッフ
みなさまのおかげです

 

本当にありがとうございます

 

我々の経営理念である

 

「練製品をとおして
食文化に貢献する」

 

との言葉にあるように

愚直に
美味しい練製品をつくることで
しっかりと貢献していく所存です

 

最後に 

 

この物語を書くにあたって
手前味噌な語り口も
あったかと存じますが

 

意気込み故と
お許しいただければ幸いです

 

どうぞ皆様
これからもご指導・ご鞭撻のほど

よろしくお願いいたします

 

あなご竹輪誕生物語 ~eps4〜

乗り越えなければならない壁


やっとの思いで
納得のいくものが
できあがり一安心

 

試作づくりを
はじめてから
2年もの月日が
経っていました

 

平成元年です

 

しかし
乗り越えなければ
ならない壁が

 

より一層高いものだと
ここで気づきます

【商品を販売していただく販路】

 

商品づくり以上に
試練の連続でした

 

誰も出野水産や
あなご竹輪を知らない中

 

当時
宮島があなご弁当で
ブームになるはしりでした

 

あなご竹輪を
売っていくなら


宮島だ!

 

と目をつけ
宮島島内の商店街
ホテルや土産物屋さんへ

 

なんとか
置いていただけるよう
営業へ出かけますが

 

宮島で
竹輪販売の
実績もない蒲鉾屋への風当たりは

なかなか厳しいものでした

 

そんな状況の中
販売をさせて下さると
最初に返事をいただけたのが

 

木島商店さんと
坂本菓子舗さんでした

 

現社長は
当時のことを振り返り

 

【みなさまの協力なくして
現在の出野水産はない

 

感謝の思いでいっぱい
本当に足を向けて寝られないです】


とよく聞かせてくれます

 

当時
竹輪を店頭で焼く機材も
持っていなかったので

 

木村屋さん(草津の蒲鉾屋)に
借してもらい

 

意気込んで
あなご竹輪を
宮島で初めて店頭販売します

 

これが
本当にありがたいことに
初日から飛ぶように売れ


即完売

 

ここからがスタートだと
みな気を引き締めます

 

朝から夕方まで宮島で販売
夜に工場へ帰ってきて
明け方まで製造する日々が
続きました

(左/朝から夜中まで仕事のため
娘の面倒をみてくれていた美香の母)

 

あなご竹輪誕生物語〜最終章〜はこちら

あなご竹輪誕生物語 ~eps3〜

人生にはチャンスが3回


 

何か新しいものを
つくりださなければと

 

気持ちばかり焦り
もんもんと過ごす日々に
光がさしたのが昭和62年

 

広島ならではの魚介類と
竹輪を合わせることで

 

新しい広島土産になるような
竹輪ができないだろうか?

 

ある日いつも何気なく食べている
ちらし寿司のトッピングの
刻みあなごを前に

 

「これこそ探し求めていたものだ!」

と出野保志は閃きます

 

今でこそ
あなご=広島名物と
全国の方に認識いただくようになりましたが

 

当時はまだまだ
地元の方だけの知る隠れた名物

 

 

しかしこのあなごを
新鮮な白身魚に混ぜ焼き上げる竹輪こそ

 

世界中から広島・宮島へ
いらっしゃる方々へ喜んで頂ける
広島土産になる

 

そう確信したのでした

 

何事もそうですが
まわりの助けや協力無くては
成し遂げられません

 

ましてや新しい挑戦など尚更です

 

【人生には大きなチャンスが3回ある

新商品として
あなご竹輪をつくることが
大きなチャンスの1回分だから

有無をいわず手伝ってくれ】

 

と保志に説得されたと
妻の美香は今でも言います

 

妻・美香の実家も
写真業を営んでおり
商売屋の娘として育ってきました

 

商売屋の酸いも甘いも
幼いころから見てきた身

 

旦那のいうチャンスに
自分も身を粉にしてでも
協力しようと決断します

 

(左/娘 出野恵梨 右/妻 出野美香)

 

この時
保志と美香には
生まれたばかりの娘がいたのですが

 

娘の面倒を見る
時間も人もなかったため

 

美香の実家の両親に
面倒をみてもらっていました

 

そうして親戚や家族総出で
協力してもらい

 

商品構想を練りあげ
試作に取り掛かります

 

しかしまたしても
製品化までは
失敗に次ぐ失敗の連続でした

 

仕入れたあなごに骨が混ざっている

 

竹輪そのものの食感が
ざぐざぐで食べられたもんじゃない

 

見た目がレーズンパンのように
黒焦げてうまく焼けない、、、、

 

当社の経営理念にあるように
愚直にお客様へ
おいしいものをお届けすることが
使命と信じているので

 

中途半端なものを
出荷するわけにはいきません

 

売り上げも下がっている
利益も少なくなっている中

 

泣く泣く竹輪を捨て
また新たに試作へ取り掛かる日々でした

 

あなご竹輪誕生物語〜eps4〜はこちら

あなご竹輪誕生物語 ~eps2〜

きっかけは突然に


 

昭和57年になると
草津・井口界隈の海が埋め立てられ

 

広島市の埋め立て工業団地
【商工センター】が

新しくつくられました

 

先々代社長の出野保の

 

「事業を大きくして息子たちに継がせたい」

 

という強い思いから
草津浜町の工場を
商工センターへ移転します

 

 

(2人の息子達 真ん中/出野守 現常務
右/出野保志 現代表取締役社長)

 

 

(草津浜町時代の工場の前で)

 

現在の工場も
同じ商工センター内にありますが
当時の場所からもう一度移転しています

 

その話はまた後程

 

新工場へ移転し
息子である保志(現代表取締役社長)が
修行から戻り

 

「さぁ皆で頑張ろう!」

 

と一丸となって
進み始めようとした矢先に

 

保が他界してしまいます

 

当時保は56歳です
今考えてみても
あまりに早すぎる別れでした

 

さらに地場業者が中心だった
広島の魚肉練り製品業界に

 

関西や山口の業者が
相次いで参入し

 

低価格で売り場を席巻するように
なりました

 

肝心かなめの父を病で失っただけでなく
さらに追い討ちをかけるように

 

売り上げが3分の2まで
下がってしまいます

 

失望の底にいた保志でしたが

 

「なんとしても立て直さにゃあいけん」

 

と固く決意します

 

保の遺言は
「兄弟で出野水産を守ってほしい」でした

 

就職先の決まっていた
弟の守(現常務)でしたが

 

この遺言から
兄弟で家業を継ぐことを決めます

 

弟である守
妻である美香

 

そして亡き夫の後を継ぎ
女で社長へ就任した昭子

 

試行錯誤の日々が始まるのでした

 

あなご竹輪が完成するのは
この2年後です

 

あなご竹輪誕生物語〜eps3〜はこちら

あなご竹輪誕生物語 ~eps1〜

創業時から竹輪づくり


 

出野水産は大正12年に
出野しんたろうが創業し
今年で94年目を迎えます

 

あなご竹輪を発売する以前からも
広島・草津で
竹輪づくりを生業としていました

 

今日はあなご竹輪を販売する
以前のお話を

 

(左 出野保/先先代社長
右 出野昭子/現会長)

 

昭和後期当時の出野水産は
問屋さんへ卸す竹輪づくりを

 

生業の大きな柱と
させていただいておりました

 

 

この当時は出野商店という名でした
その後出野水産へ

 

配達の車もこの時は
この1台のみ

 

当時の工場は広島市草津浜町にあり
住み込みの従業員さん達と
一緒に数名で仕事を行っていました

 

当時はすり身もないものですから
幼い子供を背負って
朝の3時ごろに市場へ
魚を仕入れに行くところからスタートです

 

それを昼までかけすり身をつくり
それから成形

 

炭でじっくり竹輪を焼いて
夕方から出荷する日々でした

 

竹輪づくりも全て手作業!

 

炭火で竹輪を一本一本焼くものですから
全身灰もぐれの真っ黒
になっていたと聞きます

 

当然全行程手作業ですので
生産数も一日数百本と限られ

 

繁忙期の正月前は
言葉通り寝る間もなく
働きづめの日々だったそうです

 

あなご竹輪誕生物語物語〜eps2〜はこちら

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